TLKインタビュー
■銀婚式ってことで25周年イベントになると思うのですが、そもそもイベントの成り立ちはどんな感じだったんでしょうか?
INAMI:中学から私立に行ったもんで、近くに仲間があまりいなくて高校生くらいになるとクラブで遊ぶようになったんですけど、良くないグループと付き合うようになって。そしたらパー券捌けとか、とにかくバイオレンスだしこれはダメだなと。
そこ抜けてから文化服装学院やバンタンや美大の友人ができたので、みんなでなんかお洒落なイベントやろうと、初めてやったのは下北沢251だったかな。
でも自分の中で当時は下北沢じゃなくて芝浦とか麻布がクラブでしょ!てのがあったのでその辺さがしたら六本木にJクラブっていうハコがあって、そこがスタート。
Jリーグとか、なんでもJがついてたなぁ(笑)
■時代ですね(笑)それはマンスリーイベント?
INAMI:そうですね、ロフトで最終回をするまでずっと毎月です。
その後、表参道にあったUKのセレクトショップ、ストナ・アベニューという洋服屋さんに出入りしているときに、クラブ界隈に詳しかった店長の山口さんから紹介されて西麻布Juiceでやるようになりました。
■音楽的にはどんな感じだったんですか?
INAMI:UKでアシッドジャズが流行ってて「これはかっこいいぞ!」とその辺の音楽を中心に選曲してました。普段聞くのはスラッシュメタルとかだったんですけど。
■意外ですね。ロンドンとはいうもののMODSなイメージではなかったといことですか?たとえばGANG STAGEやFACING FACTSのような感じというよりは少し亜流だったと。
INAMI:そうですね、もともとのイベントの名前もFackn’LoudっていうTalkin’Loudからとった名前でしたし(笑) ただ、ロンドン最高!だけじゃなくて東京も最高だろう!という意味を込めて「東京↔ロンドン化計画」になりました。
いろんなシーンを知っていくうちにスカのイベントに遊びに行ったり仲間の影響であったりでスカが好きになって、スカつながりでMODSの人たちと仲良くなったりしていきました。たまにナンバーズがスクーターで遊びに来てくれたりで。かっこよかったなぁ。
■ハコは変えずに?
INAMI:いや、その後いろいろトラブルがあってJuiceをやめて、メンバーも自分一人になってしまって、恵比寿MILKでイベントがすでに決まっているのにそんな状況で困ったな、と。ひとまず面白そうなイベント行って仲間を探そうとラフォーレの地下にフライヤー置き場に行ったんです。そこで見た「Blue Beat」ってやつに行ってみて、金もないのに。
キャッシャーで「500円しかないけど遊ばせて」って主催者のスキンヘッドに言ったら歓迎してくれて、そのうえテキーラガンガン飲ませてくれて。そのスキンヘッドが内田コーヘイ(TUFF SESSION)で。即、出演オファーして。
■コーヘイさん、スキンズだったんですか!?
内田:みんなそうだったよ(笑)そのMILKのイベントすごかったね。超満員でさ、地下で相方のガリオ(現、渋谷ROOTS店長)がDJしてたんだけど飲みすぎて、ブースで寝ちゃってさ、お客さんパンパンなのに(笑)
■ゆるいですね(笑)
INAMI:その後もロンドン化のフライヤーを同じラフォーレの地下に置きに行ったりして、声をかけたのがZAKOで「今度バンド始めたから見来てよ」ってOne Track Mindのフライヤーもらったりで仲良くなって。その頃ZAKOは「Rudie’s Love Affair」ってネオスカのイベントやってたけど、気づいたら一緒にやるようになって。
■やはりスカが中心にあると
INAMI:いや、スカはもちろん好きなんだけど、ジャンルにこだわるというよりLondon NiteやCLUB SKAなど素晴らしいイベントがすでにあるなかで同じことをやっても生き残れないので、他にないオールジャンルで筋の通ったイベントを目指しました。なんでもかかるんだけど、ロンドン化のカラーがあるような。それは今も強く意識しています。
■ロフトプラスワンでのロンドン化をよく覚えているのですが、どんな経緯でしたか?
INAMI:六本木ブレスや高円寺UFOクラブの次に青山の蜂でやってた時に、プラワンってとこがあると声をかけられてから一度やってみたら、店側もとても協力的で、自分のテーマとして持っている「箱・人・イベンターの三位一体」が強く体現できるんじゃないかと。本当に横山さん(当時のプラスワン・マネージャー)にはお世話になりました。
■ですが10年近く続けたプラワンもやめてしまうわけですよね
INAMI:そう、もちろん続けたかったんですが当時風営法が急に厳しくなって歌舞伎町のクラブがオールナイトで営業できなくなってしまって、コマ劇にあったCODEに手入れが入ったりで、新宿を離れざるを得ない状況になっちゃった。そんな時、拾ってくれたのが下北沢Basement Barで当時の店長、小栗ちゃんだった。その後、渋谷のコーヘーの店(渋谷roots)で2年くらいやったかな。
■そして、また新宿に戻ってきますね
INAMI:年に一回のスペシャルを新宿ロフトでやるようになってから、店長の大塚君に声をかけてもらいました「うちでやりませんか?」と。
■大塚さんは何かピンと来るものがあったと?
大塚:プラワン時代も見てた、というか働いてたので。あと毎月レギュラーイベントがONE FOUNDATIONともう一つくらいだったので、この曜日に行けばこれをやってる、みたいな感じが欲しかったんですよね。実際やってみたら、お客さんとスタッフが仲良くなったりで面白いなと。基本そんなのことうちは無いんですよ。
■ライブは大体単発ですからね(笑)大塚店長の協力もあり新宿LOFT(Bar The Loft)でレギュラーをやっていくわけですが2012年3月にレギュラーとしての活動をやめてしまいます。一番のきっかけはなんだったのでしょう?
INAMI:イベントを任せていたメンバーのKIMIYOSHIが鹿児島に移住してしまったのが
一番大きかったですね。あぁ、もう毎月続けるのは難しいなと。その時思ったのが(イベントの歴史を)続けるために続けるのはやめようと、しっかり楽しめるイベントを時間かけてもいいのでやろう、と。20周年という節目でもありましたし、その周年に大塚君からの申し出で大貫憲章さん(London Nite)をブッキングしてくれて共演させていただいたのも一つのきっかけになったと思っています。
■その後もロンドン化を名乗ったり、大忘年会など続けていることで言われたりしませんか?終わったんじゃないの?と。
INANI:もちろんあります。ですが東京ロンドン化計画という名前はKIMIYOSHIが帰ってくる場所を残しときたいし、自分一人でもロンドン化だ!という意地もある。あと、このメンバーはやっぱり最高だし、イベントも絶対楽しいし、みんなにも体感してほしい。大塚君には会うたびに「やらないんですか?」と言ってもらって「いいもん作ってやる!」という気概もあって、やっぱりやるならこの新宿ロフトでしょ!ってのが今回の銀婚式だと思っています。12月30日という年の瀬に家族にも迷惑かけますが(笑)
■大人になっちゃいましたしね、みなさん(笑)銀婚式楽しいですかね?
INAMI:どうやったら楽しいか、居心地がいいか、バーテンさん怖い?お酒買いやすくしてください!緑茶ハイだけは安くしてください!とか音楽、今日の音どう?あれいいよね、古いのも新しいのもかけたいよね、あの曲は外せないよね、フロア明るさどう?もうちょっと暗くしようか、とか、このゲストだったらみんな楽しいよね、呼べるかな?とかそんなことばかり考えて来たので、ぜひ銀婚式、まぁ、名前は少し構えてしまいますが(笑)参列してみてください、最高の音楽とお酒、みんなで楽しく忘年会しましょう。お待ちしております。
インタビュアー:ハルキカナマ
Tiny Desk Concerts
先日は休みにも関わらず体調を崩してしまいずっとベットでゴロゴロしてました。
何も考えたくないので、ちょっと気になっていたyoutubeのTiny Desk Concertsをダラダラと。
NPR=National Public Radio=アメリカの公共ラジオ局が多分自分とこのオフィスで放送してる音楽チャンネルみたいです。
どれくらいのペースで更新されてるのか知りませんが、そうとういっぱいあってすごいボリュームです(300回以上ある?)
ゲストもカテゴライズされない感じで飽きません。その中から気になったものをいくつか。
ズージャーねぇ、、

(誰も知らないものを探し求めるハンター達もおりますが、それはそれで浪漫でリスペクト)
だからなんだ?って話なんですけどね。
ギャラないから

「ハルちゃん、今日ギャラないからレコード持って帰ってよ」
ってのが、よくあった。とある交差点の地下にかつて存在した箱での出来事。
入り口入って突き当たりのトイレの右下辺りに納戸みたいな小さいスペースがあって、その中に歴代のDJの忘れ形見がひっそりと眠っていた。
トイレの横ということもあり湿度の問題か、カビだらけだったりウォーターダメージがあるのが多かった。一度箱ごと持って帰ったらほとんどカビてて、一枚一枚丁寧にはがして洗って干して、結果ジャケなしレコードを大量生産することに。
まぁ、でも奇跡的に難を逃れたものもあって、写真のハービーハンコックのHEAD HUNTERSみたいにジャケットにダメージありだけど盤は綺麗、とかも多い。oneness of jujuアフリカンリズムなんかもそんな感じだったがよく見たらUSオリジナル盤で、それなりのギャラになった、なんて事も。
大体はディスコからの流れをくむ箱だったので、その辺の12インチからなんともいえない初期ハウスが大量にあって、そんな中に80sダンスホールやラバーズの12インチだったり謎のプロモ盤なんかもちらほら、最近まで現場で活躍したスタメンになったのも何枚もあった。7インチが歌謡曲くらいしかなかったのは時代を感じたし、これは絶対あの人のだな、みたいなロカビリーのレコードもあって、それは大切にお預かりしております。
それこそ忘れものなんで、勝手にギャラの代わりに渡してんじゃないよっ、て話なんですがおそらく何十年もたってたりするだろうから時効でしょうか。
あと、はっきり言ってギャラなんかに到底足りてないですけどね、全然。今までスタッフに渡してない給料も全員に全額払いやがれ。若者の夢みたいなんを食いつぶして潰れた最低な場所だった。
レコードを聴きながら色んな事を思い出してしまった。
音楽に罪はない。音楽の持つ力を私欲のために利用するのは、これが仕事だから、という社会の常識に則った当たり前のお金儲けの手段だったが、同じやり方では儲からないと知った時、今までよりもよりエグい法方にシフトしていくだろう。
とは言うものの、選ぶ側が賢くなりゃいいので、見えないけどお金のどっさりかかった売るための仕組みみたいなのを嗅ぎ分けられるようにしないといけない。懐疑的では世の中は生きづらいから難しいのだけど笑。今までと違う「小さな友達の輪」のような幸せな音楽のあり方を考えなくてはいけないのかもしれない。戯言と言ってしまえばそれまでなんだけど。
ある時、交差点のその店をのぞいたら空っぽになっていた。まだまだあった夢の残り香のようなあのレコードたちは、どうなったのだろうか。
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